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年齢・性別
27歳、女性
現在の居住都道府県
東京都
看護師として働いた(働いている)年数
5年
看護師を辞めたいと初めて思った年数
2年目の7月(分娩係になって半年経った頃)
看護師を辞めたいと思った時、どなたかに相談しましたか
同期、先輩助産師、父母
看護師を辞めたいと思ったきっかけ
私が仕事を本気で辞めたいと思ったピークは2回あります。1回目は2年目の7月(分娩係になって半年経った頃)、2回目は5年目の10月です。
<1回目>職場内の人間関係
当時勤めていた病院の産科は妊・褥・新生児病棟(以下、妊褥病棟)と分娩・MFICU病棟(以下、分娩棟)と分かれており、新人助産師は2つの病棟を約1年ごとにローテーションしていました。私は1年目の1月から分娩棟へ移動となりました。元々分娩棟の緊迫した空気間や先輩の目が常にある状況が苦手でしたので、とてもストレスでした。夜勤では分娩係、MFICU係、リーダーの3人で回していましたが、ナースコールは取れる人がとる、という状況でした。7月のある日、自分が分娩係、先輩AがMFICU係、先輩Bがリーダーという夜勤がありました。先輩Aはあまり席を立たず低燃費お局タイプ、先輩Bは以前から度々厳しく指導を受けており(服の端を強く引っ張って「なんでそんなことしたの?」と聞いたり、私の判断が遅く業務を依頼した際に「もうやりました。」と冷たく言われたり)私は苦手に感じていました。MFICU病棟の患者さんから「胎動が少ない」とナースコールがあり、先輩Aの代わりに私が対応しました。当時私は知識が乏しく「もう1時間様子を見ましょう」とお答えしてしまいました。ナースステーションに戻ると先輩A、Bに報告し先輩Bから「胎動減少って、どういうことかわかってる?」と指摘を受け、すぐに間違いに気が付き患者さんのもとへ戻りNSTを装着しました。そして先輩Aにモニター装着したことを報告し「うん、ありがとう」と返答がありました。病棟の慣例(?)というより常識として、ナースコールは出ても患者さんの責任は受け持ちさんがもつ、という考えでしたので、きっと先輩Aが頃合いを見て外すだろう、と思っていました。40分ほど経ったあと、先輩Bから「モニターを付けたのは○○さんだよね。なんで取らないの?」厳しくと言われました。もちろん同じ病棟の患者さんなのでモニターはちらちら確認していました。先輩Aも当然とばかりにこちらを見てくるので、納得はできませんでしたが泣く泣く外しに行きモニター判定を報告しました。それまで指導を受けたときは自分の知識不足や判断が間違っていたからだと納得できましたが、ここで初めて理不尽な対応を受けたように感じました。
<2回目>患者様の対応
2年目の12月からずっと妊褥病棟にて勤務し5年目になった頃、仕事にも慣れてきたということで私は母乳育児係のリーダーをしながら看護研究の研修に参加することになりました。なかなかハードだとは思ったのですが、母乳育児に関してもっと勉強したい、病棟に貢献したいという思いがあったので続けていました。そのハードな状況に加えて、患者さんとの関わりが私のキャパシティーオーバーにつながりました。ちょうど4月の終わりごろ、のちに私のプライマリーとなるCさんが入院しました。Cさんはメンタルが不安定でしたがリエゾン介入を拒否した上にご家族も変わった方で、病棟全体で手を焼いていました。私はプライマリーとしてなんとか自宅で安全に育児ができるようにスタッフの連携を図りました。結果的に予定帝王切開で早産となりましたが、生まれた赤ちゃんはGCUへ入院、母子分離となりました。そこでまたCさんのメンタルが不安定となり、心配になった私は勤務終わりにお話しを伺うようにしていました。そして夜勤明けのある日お話した際に赤ちゃんの病状について聞かれ、私からは説明できないのでご自身でGCUのスタッフに言って、再度先生から病状説明の時間をとってもらうよう依頼してはどうでしょうと提案しました。ところが自分では聞けない、早く教えてもらわないとおかしくなりそう、スタッフにそう伝えてほしいといわれました。Cさんのお気持ちはGCUスタッフに伝えますが、すぐに対応は難しいかもしれませんと伝えると「なんか、そういう連携ってしてくれないんですね。」と言われました。ショックでした。今までどれだけのスタッフがあなたに振り回されたか、裏で何回カンファレンスを重ねたか、いろいろ拒否しておいて、自分の都合に合わないと文句を言ってなど、いろいろ思うところはありましたが、Cさんが泣き出し「助けてほしい」(リエゾン介入の同意)を得てその場はまず退席しました。その日はそのときの状況を記録に残し、看護師長にも報告し帰りました。しかし、Cさんの「そういう連携ってしてくれないんですね」の一言がショック過ぎて、今まで私が関わってきたことは一体何だったんだと思いとても悩みました。そしてその夜勤のあとの勤務から病院に行けなくなりました。
看護師を辞めたいと思った時の職場
総合病院の産科病棟
解決策
<1回目>
その夜勤の終わりにこれまでの厳しい指導と夜の対応について思い返し、自分の素質の無さとなんでこんな気持ちにならないといけないんだと思い、ちょうど同じ夜勤だった妊褥病棟の仲のいい先輩2人に相談しました。初めて病棟で大泣きしました。2人とも「それは先輩Aがとるべきでしょ!」「忙しくないんだから言い方も考えればいいのにね」と話しをきいてくれました。「もう私やっていけません」と私が言うと「もうこっち(妊褥病棟)に戻って一緒に働こう!」と言ってくれました。数日後に同期にもいきさつを相談し「仕事がいやになっちゃうくらいなら相談したほうがいいと思う。だって、もったいないもん。」と言われました。その後押しもあり、看護長に相談しその年の12月には妊褥病棟に異動となりました。
<2回目>
心療内科で適応障害の診断を受け7月~10月休職したのちに退職しました。復職するつもりで休職明けに2日間だけ出勤しましたが、不定愁訴が苦しく退職しました。退職後はのんびり過ごそうかとも考えましたが、せっかく資格があるので思いっきり自分のやりたかったこと(私の場合は外来指導・母乳外来)ができるところでちょっとずつでも働こうと思いすぐにクリニックに就職しました。
転職することによって解決した場合の職場
地域密着型の産婦人科クリニック
今看護師を辞めたいと悩んでいる看護師さんたちへのアドバイス
看護職は真面目な方が多いので、患者さんやご家族に感謝されると嬉しくて続けられると思います。でも、私たち自身の健康をないがしろにしてはいけません。戦場で一番けがをしてはいけないのは医療班であるのと同じで、私たち看護職が心と身体を壊してしまったら、誰が他の大勢の患者さんのケアをするのでしょう。無理して働いて今後一生働けなくなるよりも、今の職場を一旦離れたりお休みしたりして、回復してからまた働き始めるほうがよっぽど世の中の患者さんのためだし、自分のためでもあると思います。あと最終的な一番のモチベーションと一番の安心材料はお金です。1年くらい適当に働いて遊んでもなんとか生きていける、と思うと心に余裕が生まれいろいろな選択肢が見えてくると思います。